家族や自分自身に物忘れや判断力の低下といった認知症の疑いが生じた際、多くの人が「単なる加齢のせいだ」と思い込もうとしたり、「病院へ行って残酷な診断を下されるのが怖い」と受診を先延ばしにしたりします。しかし、医学的な視点から言えば、認知症の疑いがあるにもかかわらず受診しないことは、人生の後半戦における極めて大きなリスクを放置していることに他なりません。まず、最も重大な損失は「治る認知症」を見逃してしまうことです。認知症のような症状を呈する疾患の中には、正常圧水頭症や慢性硬膜下血腫、甲状腺機能低下症、あるいは特定のビタミン欠乏症など、適切な治療によって劇的に改善、あるいは完治するものが存在します。これらは早期に発見して外科的処置や投薬を行えば、元の健やかな生活に戻ることが可能ですが、受診を拒んでいる間に脳へのダメージが不可逆的なものになれば、救えるはずの未来を自ら断つことになります。次に、アルツハイマー型認知症などの進行性疾患であった場合、受診しないことで「薬物療法の黄金期」を逃してしまいます。現代の医療では認知症を完全に治すことはできませんが、早期に診断を受けて抗認知症薬を服用し始めることで、症状の進行を緩やかにし、穏やかな時間を数年単位で延ばすことができます。この「数年」という時間は、本人にとっても家族にとっても、思い出を作り、将来の準備をするための何物にも代えがたい貴重な猶予です。受診をしないまま放置すれば、記憶障害だけでなく、徘徊や妄想、暴言、抑うつといった心理症状、いわゆるBPSDが激化し、本人も家族も疲弊しきった状態で医療機関に担ぎ込まれるという最悪のシナリオを辿ることになります。また、身体的なリスクも増大します。認知機能が低下した状態では、薬の飲み忘れや誤飲、栄養の偏り、火の不始末による火災、さらには自動車運転による事故など、命に直結する危険が日常の至る所に潜んでいます。受診して「認知症である」という客観的な診断を受けることは、社会的なセーフティネット、例えば介護保険制度や成年後見制度を利用するための「通行証」を手に入れることでもあります。診断がなければ、適切な福祉サービスの導入も遅れ、家族は24時間365日の孤独な介護に追い詰められ、共倒れのリスクを背負うことになります。認知症を放置することは、暗闇の中をライトなしで運転し続けるようなものです。一刻も早く専門医の門を叩き、現在の脳の状態を科学的に把握すること。それが、本人としての尊厳を守り、家族との絆を壊さないための、唯一にして最も賢明な選択なのです。
認知症を放置し受診しないことで生じる医学的リスクと末路