RSウイルスに感染した多くの大人が経験する、しつこくて辛い咳。熱が下がり、鼻水も止まったのに、なぜ咳だけが何週間も続くのでしょうか。その理由は、RSウイルスが私たちの気道、特に気管支の繊細な細胞に対して行う「悪さ」に隠されています。私たちの気道の表面は、「線毛上皮細胞」という特殊な細胞で覆われています。この細胞には、細かい毛のような「線毛」が無数に生えており、ベルトコンベアのように協調して動くことで、外部から侵入したウイルスや細菌、ホコリなどを痰と一緒に喉の奥へと運び出し、体外へ排出するという重要なバリア機能を担っています。ところが、RSウイルスはこの線毛上皮細胞に感染し、細胞を破壊してしまう性質を持っています。ウイルスに破壊された細胞は剥がれ落ち、気道はむき出しの、いわば「焼け野原」のような状態になってしまいます。バリア機能が低下した気道は非常に敏感になり、冷たい空気や会話といった些細な刺激にも過剰に反応して、激しい咳を引き起こすようになります。これが、感染後に咳が長引く大きな原因の一つです。さらに、RSウイルスは気道の「過敏性」を高めることも知られています。これは、気管支喘息の患者さんに見られるのと同じような状態で、気道が炎症を起こし、わずかな刺激で気管支が収縮して狭くなり、咳や喘鳴(ゼーゼー、ヒューヒュー)が出やすくなります。RSウイルスの感染をきっかけに、一時的に気道が喘息のような状態になってしまうのです。抗菌薬でウイルスが体からいなくなった後も、この破壊された気道上皮が完全に修復され、過敏性が正常に戻るまでには、数週間から一ヶ月以上という長い時間が必要です。つまり、咳が長引くのは、まだウイルスが残っているからではなく、ウイルスが残した「爪痕」が治るのに時間がかかっているからなのです。このメカニズムを理解すると、焦らずに体を休め、気道に優しい環境を整えながら、じっくりと回復を待つことの重要性が分かります。